いつも失敗ばかりする。何事も続いたためしがない。そんな僕が少しラクになれた哲学者ニーチェの言葉。
こんにちは!ナイーヴです。
人生40年生きてきて、本当にたくさんの失敗をしてきました。
後悔していることもたくさんあります。
「恥の多い生涯を送って来ました」
と、太宰治「人間失格」の冒頭文のような心境になることもしょっちゅう。
そんな「やるせない思い」を、少し解消してくれた哲学の本があったのでシェアしたいと思います。
その前に僕と妹のことを少し。
僕は、子供の頃から色々なことに手を出し、首をツッコム性格だった。
とにかく興味の対象がコロコロ変わる。
そのことは、以前の記事でも書きました。
で、興味を持って挑戦するんだけど、成功したためしがない。
長く続いたことがない。途中で投げ出す。
本当にダメダメなヤツなんですね。
それは、語学だったり、資格試験だったりということが多いんだけど。
そのため、お金も結構使った。100万円近くは使ったんじゃないかな。
反対に、僕の妹はそういうムダなことを全くしないタイプ。
習い事をしたこともなければ、資格取得や語学にも興味を示したことがない。
だから、ムダにお金を使うこともなければ、失敗をしたこともない。
生き方がスマートなんですね。
親からもよく言われます。
「あんたは昔っから、いろんなことに手を出して、続いたためしがない。」と。
僕もそれは自覚していて、ドブに捨てたようなお金のことや、あと1点で合格だったという資格試験のことを思い出しては、後悔や悔しさが今だに沸き起こってきます。
こういう思いを持っている人って意外と多いのではないでしょうか?
僕も、この思いは「大成功」をおさめない限りは消えないんじゃないかと思ってる。
でも、実際は大成功をおさめるなんてことは、夢物語のようだし・・・。
そんな僕の気持ちをラクにしてくれた本とは。
文響社から出版されている
「その悩み、哲学者がすでに答えを出しています」
(小林昌平 著)
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この本についてはもっと詳しく書きたいことがある。
なので、ここではあまり触れないでおきます。
で、この本の中で「ニーチェ」のことが書かれている章がある。
そこに書かれていることを要約すると、
「人生に失敗はつきものだ。
そうした失敗の記憶がふとした瞬間に蘇り、叫びたくなるほどの後悔に襲われる。
人生に積極果敢に挑戦している人ほど、そうした痛い経験があるのではないでしょうか。」
歳を重ねるにつれ分別もついて、手痛い失敗を恐れて傍観者をきどり、危ういことには手を出さない、現状維持的な、身の丈に合った生き方におちついていくものです。しかし、「失敗をおそれず果敢にチャレンジしつづける人」と、どちらが「力のかぎり精一杯生きた」といえるでしょうか。
ニーチェは、賢く理性的な、スマートな生き方を「アポロン的な生」と呼び、喜びも苦しみもある、振れ幅の大きい、自分の背負った運命に翻弄される生き方を「デュオニュソス的な生」と呼んだ。
そして「振れ幅の大きい人生こそを愛し、楽しめ」と言っている。
僕は、この文を読んで、心が少し軽くなった。
過去の数々の失敗については、「それだけたくさんのことに挑戦したじゃないか」という解釈ができる。
そういう解釈は、ただの気休めかもしれない。
でも、それで生きやすくなるならそれでいい。
あと、ここには書かないけれど、僕は「マイノリティーのデパート」だと自分では思っている。
それくらい、さまざまなマイノリティー部分を持っている(と自分では思っている)。
そのことについては、いつも悩んでいた。
「なんで、自分はこうなんだ。」
「なんで、自分だけ・・・。」
と。
でも、こう思えるようになった。
「数多くの失敗」を経験していたり、「マイノリティーな部分」をたくさん持っている自分でもいいんだ。
かっこよく、スマートに生きることができなくてもいいんだ。
自分の失敗や後悔を、正当化しようとしているように感じるかもしれない。
でも、哲学とは、人間の悩みを少しでも軽くし、生きやすくする学問だと思っている。
なので、気休めだろうと正当化だろうと、明日からもまた生きていこうと思えるのならそれでいい。
このニーチェの章を読んで、
「振れ幅の大きい人生を楽しんでみようかな。」と少し思えた。
今日は、僕の心に響いた哲学本の一部分を紹介しました。
何か悩み事があるなら、本当に哲学はオススメですよ。
簡単に学べる書籍もあるので、探してみてはいかがでしょうか。
それでは!