ナイーヴ通信

繊細で敏感すぎる男の日常や考えていること、好きな物について語るブログ。ゲームと書籍をこよなく愛す。ちなみに氷河期世代の非正規労働者。

「子供の頃の自分」「東南アジアの人々の暮らし」、共通点はマインドフルネスかもしれない。

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こんにちは!ナイーヴです。

僕は今まで、あまり活動的とはいえない人間だった。

1日中家にいることも多かった。

憂鬱で心配事があると余計に何もしたくなくなり、寝るかテレビを見て過ごし、悶々とした日々を過ごすことが多かった。

 

でも、最近は憂鬱で心配事がある時などは、無理矢理にでも出かけることにしている。

家で悶々としていたって解決することなど決してない。

何をしていたって同じ時間が流れているのだから、その時間を何かに当てた方がよっぽどいい。

 

絶対無理なことなんだけど、「悩みや不安をなくさなければならない」とずっと思っていた。

でも、そんなこと無理ですよね。

生きていれば何かしらの悩みや不安って付きまとうもんですよね。

悩みや不安って別に放っておいてもいいんじゃないかって思うようになった。

 

子供の頃は学校でイジメられたりもした。

でも、家に帰って近所の子たちと遊ぶ時なんかは学校でイジメられたことなんかすっかり忘れていた。

翌朝になって

「学校に行きたくない!」

という気分になっていたものだ。

子供だったから思考が浅かったということだろうか。

どんなに嫌なことがあっても、嫌な気持ちになるのはその時だけ。

「大人になるにつれて心が弱くなっているな。」と思うことがある。

この子供の時の気持ちこそ「マインドフルネス」なのではないか?

 

マインドフルネスとは

「今ここにあることに集中し、過去や未来のことなどは考えない。

人生には過去も未来もない。あるのはただ今この時だけ。」

と大雑把にいうとこんな考えのことだ。

 

東南アジアの貧しい国の人たちを見てもそうだ。

裕福な暮らしなど出来てないけど、明るく元気に暮らしている人たちがいる。

一概には

「貧しいけれど、幸福度は高い。」

とは言えないかもしれない。

けれども、この東南アジアの人たちも「マインドフルネス」なのではないか。

今この瞬間を集中して生きている。

 

僕は以前カンボジアを旅行したことがある。

1週間という期間だったから、ただ単に観光旅行をしたというだけのことだ。

でも、たった1週間でも日本とは違う世界を見て、とても視野が広がった。

たとえば、小さな子供が観光客相手に民芸品を売る商売をしている。

これはよく聞くエピソードですね。

他にも、たくさんの人が昼間でも至る所で、話し込んだりしている光景を見ました。

老若男女、町中の至る所で、立っている人もいれば座っている人もいる。

夕方になると、道端に敷物を敷いて座って話をしている。

日本ではあまりないですよね。

待ち合わせの場所とか以外では、日本人ってあまり立ち止まったりしていないような気がする。

目的地に向かって歩いている印象というか。

 

どっちがいいというわけではない。

実際にその人たちに「人生観」などを聞いたわけでもない。

でも僕は、東南アジアの人々はその時その時を楽しんでいると感じた。

悩みや不安はあるのだろうけれど、無理に消し去ろうとしていない感じがする。

悩みや不安はあるけど放っている。そのままにしている。

 

自分の子供の頃の気持ちのありよう、東南アジアの人たちの生活ぶり。

これらから学べることがあるような気がする。

 

そんな感じです。

それでは!