ナイーヴ通信

繊細で敏感すぎる男の日常や考えていること、好きな物について語るブログ。ゲームと書籍をこよなく愛す。ちなみに氷河期世代の非正規労働者。

普通にすらなれないことがいつもツラかった。

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こんにちは!ナイーヴです。

 

学生の頃は運動神経は悪かったけど、勉強はそこそこできた。

なので、自分は人より劣っていると思ったことがなかった。

 

自分の要領の悪さ、理解力の乏しさ、機転のきかなさに気づき始めたのは働きだしてからだった。

何をやってもうまくいかない。

ソツなくこなせることがない。

いつも、どんな仕事をしても人からは

「仕事ができない。」

「そんなんじゃダメだ。」

と言われる。

 

努力しているつもりでも、注意をしているつもりでも何かしら抜けがある。

「もしかしたら発達障害なんじゃないか?」

と自分を疑いつつも、病院で診察も受けずにいる。

 

「普通」にすらなれないことが今はツライ。

「普通って一体何?人はみんなちがってて当たり前。」

とよく言うが、普通とは

「みんなができることを自分も同じようにできること」

だと僕は理解している。

だから、みんなができていることができない僕は普通ではないということになる。

 

普段は、自分が結婚していないことや子供がいないこと、非正規雇用だということを悲観的に考えることはあまりない。

でも、たまに心の中でこれらのことを深く認識しなおすと落ち込むことがある。

「一体自分の人生ってなんなんだろう?」って。

特に、結婚願望があるわけでもないし、子供が欲しいわけでもないのにだ。

 

仕事のことでいろいろと自分を否定されると、結婚していないことや子供がいないことですら、自分の欠点であるかのように思えてくる。

 

少し話はそれるけど、今日、高校時代の先生が客として来店した。

以前も顔を見たとき

「もしかして・・・」

と思ったんだけど、今日、名前を見ることができて確信した。

世界史の野口先生だった。

 

担任ではなかったし、世界史の授業を受けていただけなので、向こうが覚えていることはないと思うけど、とっさに首から下げている名札を裏返した。

「〇〇高校で世界史を受け持たれてた野口先生ですよね?」

と声をかけることができなかった。

 

いつもそうだ。

昔のクラスメートを街で見かけても、声をかけることができない。

自分に自信がないからだろう。

自分は普通ではないと思っているからだろう。

こんな自分を見られたくない。

思い描いていた自分になれていない。

恥ずかしい。

いろんな想いが交錯している。

 

普段は心の奥底にしまい込んでいて、めったに現れることがない。

けれど、昔の知り合いに会ったりするとここぞとばかりに現れてくるこれらの想い。

 

明日になれば、少しは立ち直っているだろうか?

未来は楽しいことばかりだろうと思い込んでいたあの頃が懐かしい。

その時に流行っていた歌を聞くと涙が出そうになる。

 

今日、ここで書いたことはこれで書くのは終わりにしよう。

もちろん人に話すのなんてもってのほかだ。

 

こういう気分の時は、元気がでる音楽を聴くか読書をするかだろう。

そして前向きに、「思考」と「行動」を実行しよう。

自分でどうにかするしかないんだから。

ウジウジしててもしょうがない。

 

もし読んでくださった方がいらっしゃったら、こんな暗い内容でごめんなさい。

少し吐き出させてください。

 

それでは!