ナイーヴ通信

繊細で敏感すぎる男の日常や考えていること、好きな物について語るブログ。ゲームと書籍をこよなく愛す。ちなみに氷河期世代の非正規労働者。

次から次へとゲームが発売されて・・・。ふと思ったこと。

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こんにちは!ナイーヴです。

今日は仕事が休みだった。

休みの日でも何かしら雑用はあるわけで、それらをしつつ頭の中は、PS4用ゲームソフト「ゴースト オブ ツシマ」のことを考えていた。

僕の頭の中の思考は、6割がゲーム、3割が読書、1割がその他(仕事など)という構成になっているのです!

 

で、今日は、その「ゴースト オブ ツシマ」の発売日だったのだ。

このゲームは開発に6年ほど費やしたらしい。

最近のゲームは本当に手間暇がかかってますね。

 

ゴースト オブ ツシマ。

多分買う。いや、絶対に買う。

買う気マンマン。

 

でも、ちょっと待てよ・・・。

先月購入した、同じくPS4用ソフト「ラストオブアス パート2」を開封すらしていない・・・。

本当は、ラスアス2の発売前に、前作ラスアス(1)をもう一度クリアしておこうと思っていた。

大体のストーリーはなんとなく覚えているが、もう一度詳細を把握しておきたかったからだ。

でも、結局ラスアス(1)も、ラスアス2もプレイしていない。

もう、ラスアス(1)のストーリーの復習をせずに、さくっとラスアス2を終わらせるか・・・。

 

って、ちょっと待てよ・・・。

いったい自分はなんのためにゲームをしているのだ?

次の新作ゲームをやりたいために、今手元にあるゲームをさくっと終わらせる・・・?

今手元にあるゲームも、かつては次に発売される新作ゲームだった。

そのために他のやりかけのゲームをさくっと終わらせる・・・。

永遠に続くループ・・・。

 

なんか違う。

こんなにサラッと、深くその世界を感じることもなく終わらせていいものなのだろうか?

興味が湧いたゲームを、ただただ課せられた義務かのごとく、クリアーすることだけが目標かのようにこなす。

こんなんでいいのだろうか?

これはあまりに勿体ないのではないか?

ゲームを制作した人たちも、もっと自分たちが作ったゲームを、そのゲームの世界観を味わって欲しいと思っているはずだ。

 

ゲームでも心を揺さぶられることがあるし感動だってする。

ゲームから教えられることだってたくさんある。

だから、映画や小説よりも劣っているとは全然思わない。

 

積みゲーを消化する」という表現をよく聞く。

僕も積みゲーを割と有している方なので、この表現は感覚としてよく分かる。

でも、ただ「消化」するためだけに、ゲームをプレイするのはやめようと思った。

 

ゲーマーには、それぞれにゲームのプレイのやり方があると思う。

サラッと、広く浅く色んなゲームをやりたい人。

一つのゲームをずーっとプレイし続ける人。

どれも人それぞれなので、何が正解で何が間違っているとかはない。

 

ただ僕は、

これからは一つ一つのゲームにしっかりと向き合っていこう。

世界観を感じよう。

その世界を隅々まで歩きまわろう。

キャラクターに感情移入しよう。

そう思った。

 

映画好きの人が何回もお気に入りの映画を見るように。

読書好きの人が何度も同じ小説を読み返すように。

 

同じゲームを何度もプレイするのは時間的には厳しいかもしれない。

けれども、せめてそのゲームをプレイしている時は、

「早く終わらせよう。」という気持ちなんて持たずに、じっくりとその世界を味わってみようと思う。